「めがね」がものす、ジャンルレスでフリースタイルなネタ帳です。はじめての方は、「ブログ内容の紹介」のカテゴリをご覧ください。


by めがね
人は往々にして、日々の生活の忙しさにかまけて、自分の夢や希望、あるいは理念といったものが意識の表層から薄れてしまいがちだ。定期テストが終わるたびに、「次こそは計画を立ててしっかりとテスト勉強をする」と、その時は確かにくやしさを感じながら、成績表の感想欄に書く。そんな経験を、中学生以来繰り返してきたような気がする。

僕は、尊敬する先生に「なかなか頑張りきれない生徒を応援しながら、一緒に楽しみながら勉強する」と自分の希望を説明したし、「生徒の思いを受け止めるだけのハートと能力を兼ね備えていられるように研鑽を続けたい」と理念を語った。

ただ、問題は、日々の忙しさだけではない。中学生・高校生は、こちらの思いなんて汲み取ってはくれないし、当然ながら社会は様々な人間で構成されているだけに、自分の正義を理解してもらえるとも限らない。しかも、結局、僕は自己顕示欲からは逃れられないだろう。

それでも、やるしかないんだと思う。見返りなんてなくても、理解なんてされなくても、自分の理想を形にしていかなければならないし、戦う気持ちは失わずに、でも引くときは引くというバランスも必要だ。インプットを怠って手持ちのネタを使い回すだけでは進歩はないし、時間をかけてでも自分の文章を書かなければいけない。

まだまだ勝負はこれからだ。
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# by bbex33312 | 2009-03-02 01:27 | 日記

松本人志は天才か?

イチローは、自身を天才と呼ばれることが好きではない、という話を聞いたことがある。不断の努力の結果として様々な記録を打ち立てているのに、その努力が天才のひと言で片付けられてしまうのに違和感を覚えるのだという。彼は、自覚的な努力が多少少なくても、成功してしまう人物のことを、天才と定義しているのだろう。

ただ、本人の意識とは別に、彼を天才と評しても差し支えはないだろう。野球選手の場合、例えば、メジャーリーグで年間200本安打を何年も続けているなど、活躍の度合いを、ある程度客観的に測る指標があり、その指標によればイチローは間違いなく偉大な記録を残しているからだ。

ところが、お笑い芸人の場合はそうはいかない。お笑いの評価にはどうしても好みが伴い、客観的な指標などは存在しない。客観的な指標が存在しない以上、ある芸人を天才と評するためには、その天才性を理解できるだけのセンスがなければならないはずである。

ここに、松ちゃん天才論者の心理が隠されているのである。「松ちゃんは天才だよ」という主張は、実は、自分はお笑い好きであり、あの松本人志のお笑いが分かるくらいのセンスを持ち合わせているというアピールなのである。

そして、松本人志のスタイル・スタンス自体が、このような受け手の心理を生む性質を内包しているように思えるのである。

『シネマ坊主』(日経BP社、2002年)では、北野映画を評した部分で、「僕のやっている笑いもそうですけど、すぐにはわかってもらえなくても今やっておかないといけないことって、やっぱりあると思うんです」(16ページ)と語っている。しかし、どのようなことが今やっておかなければいけないことなのかは説明されていない。また、テレビ番組では、周りが笑い始める前に、自分でひき笑いをして、まるで今この瞬間こそが笑いのポイントなのだと促しているかのように見受けられることがたびたびある。

つまり、究極的には個人の好みでしかないお笑いにおいて、松本は根拠もなく天才感をかもしだし、松ちゃん天才論者はそれを根拠もなく受け入れて自分のセンスを主張するという、相互依存関係が成り立っているのである。

松ちゃん天才論者達は、自分なりに松ちゃんの天才性を説明していない以上、松ちゃんに対して同じような評価をしているかを本当にお互い共有できているか分からないはずなのに、「松ちゃん天才」というフレーズだけで、強い連帯意識を発揮するように思う。そして、松ちゃん天才論を共有しない人間には非常に排他的で、センスのない奴というレッテル貼りを行う。

残念ながら、松本人志が天才かどうか、僕には分からない。
でも、やっぱり、松ちゃんも松ちゃん好きも好きではないと、つくづく思うのである。

松本人志『シネマ坊主』(日経BP社、2002年)。
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# by bbex33312 | 2008-11-07 01:59 | エッセイ
もし、Mr.ChildrenやBank Bandの楽曲の中で、櫻井和寿の要素が好きなのか、それとも小林武史の要素が好きなのかと問うならば、小林の方なのかもしれないと、このごろ思うのである。もちろん、櫻井は本格的なアレンジはできないだろうし、小林は歌わない。そもそも、両者の役割が不可分な楽曲が多いはずなので、問い自体に無理がある。それでも、音楽好きの自分にとって、この問いに対して想いをめぐらすことは、自分のアイデンティティーについて想いをめぐらすことだと言っても過言ではないのだ。

自分が好きなのは、小林の要素なのかもしれないと思わせた、直接のきっかけがこの曲である。



音楽は時に強引に、ばらばらな記憶を結びつけ、ノスタルジーを呼び起こす。
きっと僕らは、ノスタルジーには抗えない。
この曲は、僕にそう確信させるのである。

Ilmari×Salyu「VALON」(2004年)。

<補足>(2010.10.5)
フジテレビの「僕らの音楽」で行われた、salyuとilmariのコラボがとっても好きなんですが、削除されてしましました。残念。
<補足2>(2011.7.12)
「僕らの音楽」のコラボ、再アップされてました!
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# by bbex33312 | 2008-10-30 06:41 | 音楽

書評書きました。

大学院生を対象に就職支援を行う、株式会社DFSが運営するフリーペーパー「アカリク」の最新号(vol.5)に書評を書かせてもらいました。DFSは、「高学歴ワーキングプア」問題などの関係もあって、今、名前が売れてきている企業で、全国紙の取材も受けているようです。

昨年、vol.1の座談会、vol.2の社会人大学院生へのインタビューを手伝った関係で、今回は書評欄を担当させてもらいました。いやー、なんだかんだでやっぱり書くのは楽しいし、ちゃんとした印刷物に自分の文章が載るのはうれしいですね。

ネットでも読めるので、時間のある方はご覧になってください。
「アカリクコラム」のところにあります。
http://www.acaric.jp/modules/freepaper/index.php?content_id=8

パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』(ちくま文庫、2007年)。
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# by bbex33312 | 2008-05-13 10:51 | 書評
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高校英語の学習参考書に、「総合英語」なるジャンルがあることを知ったのは、最近のこと。本屋へ行くと「総合英語」と表示された棚があり、最初は本屋の整理の都合で、「英文法」や「英文解釈」などのジャンルに、分類しづらい本を「総合英語」棚につっこんでいるのかなと思っていたんですが、よくよく見ると、タイトルの前に「総合英語」と書かれている参考書を多数発見!

「総合英語」じゃ、本の中身が全然想像できんじゃないか…。指導教官が、「タイトルはセクシーに!」って言ってたぞ!

と、心の中でツッコミつつ、さらに見てみると、「総合英語」ってのは、英文法を体系的に説明した参考書のこと(演習用に文法問題を並べた問題集ではなく)を示すのが、英語学参界のお約束のようです。なんだかんだ言って、高校生がいきなり『ロイヤル英文法』とか『英文法解説』を読んだりするのはキツイからね。そこで、「総合英語」というジャンルが出てきたのでしょう。

さて、そんな総合英語の参考書の中で、多数の学校に採用されている人気No.1が、桐原書店の『総合英語Forest』。暗記ではなく「理解」を重視と謳っているだけあって、各章のPart1でその章の項目の全体像を図入りで説明したり、レイアウトが工夫されていたりと、分かりやすさが人気の秘訣のようです。

その「英文法の理解」が売りの『Forest』の特長が表れているのが、34ページの第4文型を第3文型に書きかえる時の前置詞の使い分けの説明。この書きかえ自体は、中3生用のテキストにも載っている有名な文法事項です。『Forest』の例文を挙げると、

・My uncle gave me his watch.→My uncle gave his watch to me.
・My uncle bought me an MD player.→My uncle bought an MD player for me.

「今どきMDはないだろう、i-podくらいに変えようよ。」
と、ツッコミたくなる例文ではありますが、以上のような文で、なぜ動詞によってtoとforを使い分けるのか、という話です。説明自体は、是非『Forest』を。単に、toとforの使い分けの説明だけでなく、なぜ二つの言い方があるのかということを「英語の情報構造」という観点から説明しています。

ただし、ですよ。『Forest』にも批判点は、あります。そこで、『Forest』の対抗馬である、数研出版(数学のチャート式でおなじみ)の『デュアルスコープ総合英語』にご登場願いましょう。

『デュアルスコープ』は、『Forest』に比べると、例文を挙げてその後に淡々と説明を
加えていくタイプの参考書です。『デュアルスコープ』にも、第4文型と第3文型の書きかえの時に、toを使うのか、forを使うのかという説明自体は載っていますが、『Forest』と読み比べてみると、分かりやすさは『Forest』の方が数段上手です。

そこで、僕は最初は圧倒的に『Forest』派で、なぜ高校で『デュアルスコープ』が採用されているか分からなかったんですが、今はどっちも一長一短だと思っています。まず、『Forest』の批判点の一つ目は、桐原書店が商売しすぎなところです。もちろん、現在の出版不況で大変だろうとは思うんですが、『デュアルスコープ』がCD付きで1410円なのに対して、『Forest』は1450円で、CDは別売りで1400円もします。確かに『Forest音でトレーニング』(『Forest』のCD付き例文集)の方は、例文集がついていたり、英語音声のみならず、MP3で「日本語音声→英語音声」もついていますが、やっぱり高い。さらに、対応問題集が1200円しますので、全部買うと4050円もします。ラインナップが充実しているのはいいんですが、生徒に「全部買え」とは言いづらい。

二点目は、当たり前ながら、全部の文法単元で上記のような、秀逸な説明がなされているわけではないということです。例えば、助動詞の項目で、なぜmay as wellが「~した方がよい」のような意味になるのかは、『速読英単語』シリーズで有名な風早寛先生が書いたZ会の『英文法・語法のトレーニング 基礎講義編』には載っていますが、『Forest』には載っていません。また、準動詞についてのまとめの説明があるので、不定詞のPart1の説明はいらないように思いました。

以上のような点が鑑みると、先生が授業できちんと説明することを前提にすれば、『デュアルスコープ』の方が採択される理由も分かる気がします。

上述の『英文法・語法のトレーニング 基礎講義編』について感想をつけ加えると、内容がコンパクトにまとめられていて、第5文型をとる動詞の整理の仕方や上記のmay as wellの説明は、『Forest』より上だと思います。また、各章末にセンター試験の文法問題が載せられているのもよい点です。しかし、文法の基礎を説明している参考書なのに索引がないことと、例文に慣れるためのリスニングCDが存在しないことが難点です。

そして、結論。結局、生徒はいろんなレビューを踏まえた上で、自分に合った参考書を選らんだり、学校で配られた参考書をしっかりつぶせばいいが、こっちは生徒が学校で配られたものに合わせて、いろいろ見比べなければいけないので、非常に大変。以上!

石黒昭博監修『総合英語Forest 5th edition』(桐原書店、2006年)。
小寺茂明監修『デュアルスコープ総合英語 三訂版』(数研出版、2006年)。

付記(2008.6.16)
ただし、学校で教材の一括採用という場合は、事情が異なるようです。
『Forest』には、学校用に、CD付きの文法問題集(600円)があるようです(生徒が持っていました)。
ちなみに、「キムタツブログ」に書かれていたのですが、桐原書店の『NextStage』や『DateBase』には、一括採用すると、問題作成用のCD-ROMが先生に配布されるそうで、それが学校での採用に影響を与えるとのことです。
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# by bbex33312 | 2008-05-11 13:04 | 参考書の紹介