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by めがね
(1)アクティブラーニングとは何か? :アクティブラーニングの目的と方法
① そもそも何をもって、アクティブラーニングとするのか?
  →アクティブラーニングと言った時に、どのような授業を行えばアクティブラーニングを行った
   ことになるのか。議論をしている人同士でイメージが異なるので、議論が噛み合わない。
 a. 灘中学校・高等学校の英語科教諭・木村達哉のコメント
    巷では「アクティブラーニング」という授業手法があたかも存在するかのように言われ、
   特に公立の先生方は「文科省が言うんだからアクティバらなくっちゃ!」と感じていらっ
   しゃるように思います。
    でも昨年秋のシンポジウム で文科省の課長が600人の聴衆の前ではっきりと「これが
   アクティブラーニングというものは文科省の中でもまだ明確にはなっていない」と仰り、それ
   を元事務次官も聞いておられて異議を唱えなかったのですから、文科省がどうおっしゃろう
   がこうすれば生徒たちの力を伸ばしてやれるという自分なりの方法をわれわれ教員は地道
   めに突き詰ればよろし。
    大事なのは「アクティブラーニング」という授業手法などないのであり、あるのは「アクティ
   ブラーナーズ」をどうすれば育てられるのかという認識なのです。Active Learners(主体
   的な学習者)です。
 b. では、アクティブなラーニングは必要ないと主張しているのかというと、そうではなく、固定
   的な「アクティブラーニング」というタイプの授業方法はないと主張していると考える。「生徒
  たちの力を伸ば」すという観点にたった時、現在の大学入試改革の潮流や生徒の質の時代
  的な変化を考えると、従来の講義形式の授業だけでは限界があるのは間違いない。その際
  に新しく構想される授業が、「アクティブラーニング」というタイプの授業方法に当てはまるか、
  どうかは問題ではない。
 c. そして、その新しく構想される授業は、知識や問題の解き方を覚えるだけでなく、知識の活
  用力や思考力・表現力を伸ばそうと考えた時に、必然的に生徒の授業参加の要素を増やす
  ような、つまり「アクティブ」な要素を増やすような授業になるはずである。
 d. よって、「アクティブラーニング」を進めると言った時に、グループワークや討論・発表のよう
  な手間も工夫も必要とするものばかりを想定するのではなく、まずは、普段の講義形式中心
  の授業にどうやって「アクティブ」な要素を増やしていくべきかという視点が必要ではないか。

② 授業にアクティブな要素を取り入れるパターン
  →この項は、筆者が考えている主なパターンを、アクティブな要素が比較的低いと考えられる
  ものから列挙した。他にもパターンを追加したり、整理の仕方を改めることも可能なはずもな
  ので、意見を求めたい。
 a. 講義形式の授業を行っていても、計画的に授業構成を行い、教員が一方的に話すだけで
  はなく授業の途中で手を挙げさせたり、発言をさせたりするなどして、生徒の理解度・リアク
  ションを把握して授業を進めていく。
  ⇒理解度を確認する簡単なクイズのようなものを用意して、きちんと全員に手を挙げさせる
  だけでも、主体性は生まれてくる。当たり前のことではあるが、きちんと発問を事前に準備
  してうまく生徒に参加さしてせる工夫が、自分も含めて徹底できていないのでは?
 b. 特に国理社で、漫然と知識を整理するような授業をしないで、導入でその授業のテーマ・
   論点・問いを明確化して授業を始める。授業の最後で、テーマ・論点・問いに対する感想
   や回答を書かせる。
  ⇒ICT機材の活用することで効率化することができる。a.では、ClassiNoteを活用すること
   で、リアルタイムに生徒のリアクションを確認することができる。b.では、Classiのアンケー
   ト機能を活用することで、生徒の意見を共有する作業がやりやすい。
 c. 特に国理社で、教員が先に説明や知識整理を行うのではなく、教科書・資料集・プリント・
  映像などを読み取って、ワークシート型のプリントに取り組ませ、作業学習を行わせる。そ
  の後に、教員が生徒を指名しながら、補足説明をする 。
 d. 特に英数国の問題演習で、生徒に演習をさせた後、学び合い・ペアワーク・グループワ
  ークの要素を取り入れて、生徒同士に説明をさせる 。
  →c. d.のタイプの授業をさらに徹底して行うためは、反転授業ができる環境が整えられ
   ればいきなり作業学習や問題演習の部分から授業を始めることできる。
 e. 特に理社や道徳・総合で、テーマや課題を設定して、学び合い・ペアワーク・グループワ
  ークの要素を取り入れて、生徒同士に説明・発表をさせる。さらに発展させて、課題学習
  やディベート・ディスカッション、発表などにつなげていく。

③ 現在までに蓄積された授業実践を勉強する必要性:世界史の例
  ⇒以上のように考えると、2012年の中教審・質的転換答申のなかでアクティブラーニング
  明示化されて以降、「アクティブラーニング」が教育関係者の中で一気に注目されるように
  ながったが、このような生徒のアクティビティを重視し思考力や表現力を養おうとする教育
  実践は、当然のことながら、近年突然始まったものではない。特定の教科に根ざさないも
  のでも、佐藤学の授業論・学校改革論 や生活指導の文脈からの実践 、カウンセリングの
  分野から発展した構成的グループエンカウンター などのグループワークの方法論など、
  筆者が知る限りでも多様な実践がある。まずは、このような実践から私たちが学ぶ必要が
  ある。以下では、筆者の専門である社会科、特に世界史の歴史的思考力を重視する授業
  実践書を紹介したい。
 a. 鳥山孟郎『考える力を伸ばす世界史の授業』(青木書店、2003年)。
   暗記偏重と揶揄されることも多い高校の歴史教育に対して、大学受験の現実とバランス
  をとりながら、どのように考える力を伸ばすための授業を展開するかについて、実践例な
  どが紹介されている。
 b. 小川幸司『世界史との対話 上・中・下』(地歴社、2011~2012年)。
   上巻では、小川が2009年の歴史学研究大会で発表した「苦役への道は世界史教師の
  善意でしきつめられている」が再録されており、現在の世界史教育へ問題提起がなされて
  いる。小川は、油井大三郎・東京女子大学特任教授が代表の高等学校歴史教育研究会
  のメンバーであり、歴史教育改革の提案を行っている。
   小川の授業は歴史批評を重視しており、定期試験では授業で扱ったテーマに対しての
  歴史批評を求める論述問題を出題している。
 c. 鳥越泰彦『新しい世界史教育へ』(飯田共同印刷、2015年)。
   専門の歴史教科書の国際比較研究などを通じて、世界史教育のあるべき姿を模索した
  鳥越の論文集。小川とともに、高校教員として高等学校歴史教育研究会に参加していた。

(2)アクティブラーニングを進める上で、検討が必要になってくる論点
 →この項は、筆者が考えている主な論点を列挙した。他の論点も出していただき、認識を深
  めていきたい。
① 授業を行うにあたって他の授業実践の研究をしたり、生徒のアクティビティを中心に授業を
  構成するためにプリントなどを用意しようと思うと、今まで以上に授業準備に時間がかかる。
  ⇒「我々教員の準備はこれまでの3倍かかっているような状況です。当然ですが(反転学習
   を行うために)動画を事前に視聴し、どのような課題を提示するかということを考えたり、予
   習ノートを準備したり。クラスや生徒の特性を考えながら準備をするので、別の授業に使
   い回しはきかないといった状況です。」 (   )内は筆者の補足
② ①の前段に関連して、グループワーク・ディスカッション・発表などを進める際に、生徒が消
  極的だったり、逆に脱線気味に盛り上がりすぎてしまったりなどの場合に対応できるような、
  方法論を共有・蓄積していく必要がある。
③ グループワーク・ディスカッション・発表などを中心に授業を組み立てていくと、必然的に授
  業時間が足りなくなる。
  ⇒筆者が参加した研究会では、このことが論点になることが多かった。比較的準備も授業
  時間も必要とするような実践は1つのテスト期間で1回程度行い、普段の授業ではいかに
  アクティブな要素や考えさせる場面を作っていくのか大事ではないか。
④ グループワーク・ディスカッション・発表などを中心に授業を組み立てていくと、どのように
  成績評価をするかが問題になってくる。
  ⇒テスト面では、グループワーク・ディスカッション・発表などで学んだことをテストでどうや
   って効果的に問うのか。さらに、グループワーク・ディスカッション・発表など自体をどのよ
   うに評価にして、テスト点と平常点の関係をどのように整理していくかという問題が出てくる。
   くる。

(3)おわりに:議論のまとめ
 現在の大学入試改革の潮流や生徒の質の時代的な変化を考えると、授業に「アクティブ」な
要素を増やしていくことが求められているのは間違いない。過去の実践に学びながら、まずは
実際に「アクティブ」な要素を取り入れた授業を行い、方法論を教員間で共有しながら、上記の
論点への解決策を考えていく必要があると考える。

※ワードで作成したものをブログに転載したため、引用注などを省略しています。

鳥山孟郎『考える力を伸ばす世界史の授業』 (AOKI教育LIBRARY、2003年)。
小川幸司『世界史との対話〈上〉―70時間の歴史批評』(地歴社、2011年)。
鳥越泰彦『新しい世界史教育へ』(飯田共同印刷、2015年)。
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# by bbex33312 | 2016-01-27 00:45 | エッセイ
深夜に再放送されていた時に1、2話だけ見たことがあった『鈴木先生』を、少し前に友人との会話に出てきて気になっていたこともあり、Gyaoで配信しているのを見つけて視聴。

ドラマであり映画であるので、「そんなうまくいくわけねーじゃん」的なところは、もちろんある。そもそも先生がしゃべり始めると、ものの見事に生徒が黙るなんてわけがないし、結局最後はうまいこと問題が収まる。だが、特に以下の二つの側面で、論点を抽出するためのよい素材を提供してくれていると思う。

一つ目は、教員側の心理面。例えば、私自身について正直に述べるならば、生徒に好かれたいし、生徒に信頼されたい。もちろんそういう気持ちが強すぎて、生徒を怒れなかったりするのは問題外だが、基本的には生徒に好かれたいとか、信頼されたいという思いがなければ、教員としての大事な要素を欠いているとさえ思う。ただ、こういう価値観をなかなかストレートに教員同士で表明することはない。そもそも自分の価値観を披歴する機会なんてないことも多いが、自分の価値観を矮小化して誤解して捉えられてしまう危険もあるし、そんな発想が頭に全くないからピンときてもらえないこともあるはず。

山崎先生(山口智充)や足子先生(富田康子)の鈴木先生(長谷川博己)への嫉妬は、上記の私がもつのに似た価値観が、「自分だって生徒のために一生懸命やっているのに、鈴木先生ばっかり」というように歪んだ形で発露しているに過ぎない。あまり直視したくない感情かもしれないが、そのような感情が生まれるところまでは仕方ないのである。そこで、正常と異常の境界の不確定性という、村上春樹的な世界観が見えてくる。ということは、劇中で鈴木先生自身が言っているように、鈴木先生だって一歩間違えれば、山崎先生や足子先生になっていたかもしれない。

実際、ドラマなり映画なりだと、ついつい鈴木先生の実践はうまくいくという視点でみてしまうが、鈴木先生だって、精神的にマズイところに陥るかもしれない端緒は、劇中にいくらでも見いだせる。鈴木先生は、生徒人気投票一位の一方で、不人気でも三位に入っている。いくら人気があっても、常に斜に構えて接してくる生徒がかなりの数いるのは、気持ちのよいものではない。また、卒業生が訪ねてくるシーン。また、足子先生に完全に目の敵にされている中で、信頼を失うことになるかもしれない生徒との討論。ドラマだから失敗しないものの、もし失敗していたら、教員を続けられないかもしれないほどの精神的ダメージを受けたはずである。

二つは、教育の問題点に関する側面。一番深くて大きいテーマは、映画版で提示された学校教育に適応できたからと言って、社会で活躍できるとは限らないという命題である。この命題の提示は、自分がおぼろげに考えていたことを再認識するきっかえを与えてくれた。教員は、遅刻や課題の未提出に関して、将来困るという論理で、生徒の態度の改善を図ろうとする。しかし、正直に自分の内面と向き合って考えれば、生徒が多少の遅刻ぐせくらいで、将来本当に困るかどうかなんて分かりっこない。遅刻なら、まだいい。学校において提示された道徳を内面化することで「まじめ」になったところで、学校卒業後に活躍できるかなんて分からない。となると、何が教育の目標なのだろうか。社会で活躍する力を身につけさせることだろうか、幸せな人生を送る力を身につけさせることだろうか。当然、社会で活躍すること=幸せな人生とは限らない。このように教育の目的を広くとらえようとすると、そもそも教育なんてできるのかという論点さえでてくる。

この点で、残念なところは、鈴木先生はどのようなことができたら自分の理想とする教育ができたことになるのか、明示的には定義しないで、「実験」を行っていること。理想が見えなければ、方法も確定できない。ドラマ・映画で見ると、ついつい鈴木先生の実践が理想的に見えてしまうが、本当は何が理想の状態かなんて簡単には分からない以上、例えば足子先生的に避妊は大事というメッセージを送り続けることだって、一つの方法のはずある。

以上にように、私にとっては、様々な思考の契機を与えてくれる映画だった。

『映画 鈴木先生』(2013年)。
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# by bbex33312 | 2014-08-11 05:26 | 映画・ドラマ
「STAP細胞」作成の小保方晴子さん、wikiによると、早稲田の理工にAO入試で入学したようです。この一例だけではもちろん一般化はできないけど、私大トップ校にAOで受かるような生徒は、場合によっては学力試験で合格した生徒より、よっぽど優秀ということになる。

ということで、何を主張したいかというと、「一点刻みの一発勝負」が問題の本質とは思えないということ。つまり、「センター試験」を複数回の「達成度テスト」で段階的ランク付けに変えることが、マイナスになるとまでは思わないが、大事な部分を何にもいじっていない。論文を書いたり、議論をしたりする能力を測る試験方法を充実させるという方向には向かっていないからである。

現在の入試制度でも、国公立での、センターで基礎知識を確認して、二次で記述答案を作成する能力を見るという試験方法は悪くないし、私大トップ校で行われている、英語の論文を読ませてそれに対する小論文を書かせるタイプのAO入試もそれなりに機能している。また、中堅~下位の私大に推薦入試で入学した学生の学力低下問題を考えると、「一点刻みの一発勝負」を乗り越えるだけの学力や精神力も捨てたものではない。

「優秀な学生を育てる」ためには、①一部私大で見られる細かい出題をやめる、②記述・論述の出題を増やして、その記述・論述問題の解答と採点基準をきちんと公開する、などの地道な大学入試改善を進めて、そのような大学入試に対応できるための教育が高校できちんと行われることが重要だと考える。

そして、上の段落で、「優秀な学生を育てる」とあえて「」をつけた。大学入試改革の議論で抜けているのは、改革の目的や、どのような生徒を対象にした改革なのかという点ではないか。

「一点刻みの一発勝負」のセンター試験は受験生に負担が大きいかもしれない。確かに、学力中位層にとっては、いわゆる「人物」を重視する入試が行われば、入試時点での学力が多少足りなくても、大学でその生徒ががんばることで長期的にみると、生徒にとっても社会にとっても効用があるかもしれない。一方で、学力下位層には、地道な勉強を避ける口実になってしまうかもしれないし、学力上位層に対して、いたずらに負担を減らしてしまえば、社会的な損失になりかねない。

いわゆる「グローバル人材」の育成は、確かに重要かもしれない。しかし、全員が全員、「グローバル人材」になれるわけではないし、なる必要もない。例えば、英語で授業を行うことは、ほんの一部の学力最上位層にとっては効果があるかもしれないが、英語が苦手な子にとってはただの苦行でしかない。

すべての生徒にとって有効な選抜方法や教育はない以上、どのような生徒層に対するどのような効果を望んだ改革なのかを明確化して、議論する必要があると考える。

しかし、もちろん苦労もくやしい思いもたくさんしたんだろうけど、小保方さん、絵に描いたような研究人生ですなー。
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# by bbex33312 | 2014-01-30 19:33 | 時事評論

年末年始の飲み会

・一年間しっかりがんばって、自信を持って会えるように。
・予定が詰まってると楽しめない。気持ちに余裕をもてるように、早め早めに行動。一方で、多少
 きつくてもフットワーク軽く動けるように。ただ、ホントは一人が楽という自分も認める勇気。
・一方で、忘年会に限らず、断るときは断る。最初に断っておかないと、相手に失礼だし、自分の
 首を絞める。瞬間的な判断をシビアにできるように。気をつかい過ぎない。
・自分が自分なりの考えをもっていて、しっかりやっていれば必要以上に人を気にすることもな
 い。引く時、押す時の自分なりの判断をしっかり。引くだけ押すだけでなく、気にせずスルーし
 ちゃうのも大事。
・大学院の友人とファミレスで、仕事のグチを言うやつはダメだということで意気投合。でも、自
 分たちもグチを言っているやつのグチを言っていると気づき、自分達の言説をデコンストラク
 ション。キムタツなど気持ちをしっかりもっている人は、逆にこの誤ちを犯しているかもと再確
 認。ということは、本当に何にもグチ言わないのってやっぱり難しくて、結局、相手のグチを受
 け入れられるかどうかは、その人とどれだけ関係ができているか・シンパシーがあるかにかか
 っているという事実。認めるなり、受け流すなりできないってことは、結局、そいつを受け入れ
 てないというか、人間的にダメかどうかは別として、自分とは価値観が違って、その価値観が
 許せないということなんだろう。自分はグチを言わず(グチを言った後もあと味の悪さ)、たん
 たんと。
・ノスタルジー、もう後輩が20代後半で結婚する年齢ですよ。みんな遠くなっていくなー。

<以下、防備録>
12月14日(水) Kさんと飲み
12月17日(土) 大学院忘年会
12月26日(月) 学校の同期飲み
12月29日(木) 洋上忘年会
12月31日(土) 中野のファミレスで打ち合わせ→増上寺で年越し→中野のファミレス
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1月1日(日)   大戸屋飲み
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プライバシー的にはぶれていた方がよいね。分かる人には分かる感じで。
ずっと授業してる気持ちだったけど、冷静に書き出してみると、ちょくちょく飲んでるな。
年末はこれくらいのバランスで。
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# by bbex33312 | 2012-01-03 13:19 | 日記

玉木俊明先生・講演会

同僚の先生のお誘いで、高校の教員向けの講演会行ってきました。講演者は、京都産業大学の玉木俊明先生で、テーマは「商業と情報の世界史―新しい世界システムー」でした。

自分の関心上、どうしても概念定義の部分でひっかかるところがあったものの、関西の人らしいユーモアのある話し方で、お話自体はとても楽しく聞けました。

以下、備忘録。今日の気持ちの動き・考えたこと。

・久しぶりに大学レベルの講義に触れて、学習意欲が高まった。
・初心忘れるべからず。日々の仕事に流されてしまいがちだが、本・論文を書くという目標を達成するために、研究レベルの勉強を怠らない。英語も。
・去年同僚だった先生が、東京都の教採に受かったとのこと。「悔しい」というのが、正直なところ。実力でも負けていないはずだし(自己顕示欲から逃れられないなー)、早く同じ土俵に立ちたい。やはり早く専任になりたい。努力するのみ。
・どうやって人にアピールするかをもっと考えないといけない。たいして実力がない人物でも、自己アピールがうまいとそこそこに見えてしまう。同じことを言っていても、言い方で印象が変わってしまう。小心を抑えて、落ち着くことが必要。気を使うというアイデンティティは譲らないにしても、あるいは議論を切るという発想を捨てないにしても、うまく押したり引いたり。
・一方で、自分にないものをひねりだそうとしても仕方ないしね。

玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生―オランダからイギリスへ 』(講談社選書メチエ、2009年)。
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# by bbex33312 | 2011-10-23 22:42 | 日記